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ペルーへ行こう(個人旅行マニュアル)

実際の旅行記H19.11編はこちら

クスコ空港 H19.1
 
個人旅行として、ペルー(クスコ、マチュピチュ)へ行くには数々の難関があるかと思います。例えば、「格安航空券」はどう押さえるのか、米国乗り継ぎはどうしたらいいのか、ペルーの移動、宿はどうするのか、フォルクローレツアー(ケーナ工房訪問、ペーニャ、現地ミュージシャンとの交流は可能か)のようなガイドはあるのかetc、、、。

 出発前の準備段階から、それらについてどうリサーチし、どう現地に依頼していき、結果として、どうクリヤしていったのか、またはクリヤできなかったのかを、「ライブ」「同時中継」「現在時進行形」として、書いていこうと思っています。

 そういう構想がある方へのノウハウの情報提供と同時に、こうですよというアドバイスをいただく場となればと思っています。

 では、あなたも私と一緒にその準備を始めるつもりないなって、始めましょう。始まり始まり!!時は平成19年9月20日。

1、同行者は誰?

 一般のツアーと違って、個人でペルーへ行くとなると、病気、事故など不測の事態に独力で対処しなければなりません。そういうことから、旅の相棒を求め、一緒に力を合わせ乗り切ることとしました。フォルクローレツアーとなるわけで、同好の士がいいし、気心が知れ、一緒に旅行をした経験がある人がいいと思いました。出来るだけ小回りよくということで相棒は一人としました。
 そういう人がいるんですねえ。もう30年来の友人、山形のチャランギスタT君その人です。彼とは過去ボリビアとペルーへそれぞれ1回づつ旅行していますし。折りしも、T君もペルー個人ツアーを考えていたというグッドタイミングで二つ返事でOK。彼と二人して準備することになったわけです。

2、日程設定・休暇取りが大変だ?!

 ペルーは非常に遠いところで、往復するだけで4日弱取られます。現地滞在正味2週間と見ると20日間くらいの旅程となるわけです。私はお金さえ準備できれば、20日でも一向に構わないわけですが(安宿に泊まり、格安航空券でということですが)、T君は「お勤め人」で、それは無理な話です。結局、大分がんばったようで、11日間の連続休暇を取ることになりました。(うち1日は激務に備えての帰国後の1日の休養を取る)以上から10日間のツアーを組むことになりました。
 10日ないし11日の連続休暇(お正月休みでなしに)というのは通常のサラリーマンの取りうる最大の連続休暇の限界に近いものと思います。

 結局格安航空券狙いで、観光オフシーズンということで、平成19年11月22日から同年12月1日までの10日間という日程設定となりました。

 ※ペルーと日本との時差は12時間くらいで、丁度昼と夜が逆転してしまいます。私がかの地から家に国際電話をかけたことがあるのですが、それを例にとって説明します。夕方6時くらいに電話したのですが、日本では朝の6時だったわけで、なんでこんな朝っぱらから電話してくるんだと、こういうふうになる訳です。
 前置きが長くなりましたが、帰国後の「昼夜逆転の時差ボケ」は相当シンドイです。大体夜帰国という航空便が通常で、翌日はとても出勤どころではないと思います。そういうわけで、T君の予定している、帰国後のもう1日の休日・休養は必須と思います。

3、米国乗り継ぎが大いに心配

 ペルー・リマへの直行便はありません。(最近メキシコへの直行便が出来たようですが、、。密かにマヤ、アステカ遺跡探訪を狙っています)多分航空燃料の関係で 成田→米国、米国→リマそれぞれ14時間と8時間くらいのフライトに分けざるを得ないんでしょう。

 必ず米国内諸都市でのトランジット・乗継があります。T君と相談していて、これが最大の個人ツアーの難関だねということで一致したわけです。

 「はあい、リマへ行くお客さんはこっちよお」と航空会社の方が看板をもって次の飛行機の乗り口まで案内をしてくれれば問題ないのですが、そういうことは決してありません。自分で探し当ててたどり着かなければ、勝手に飛び去ってしまう。しかもその間には、米国当局の厳重な出入国審査と税関申告をクリヤし、かつ大きなスーツケースを出して、そして預けて、大きな空港では地下鉄みたいのに乗って、、、と。

 「わからなければ、聞いちゃえばいい」となるのでしょうが、まず日本語は通じませんし、案内表示にも日本語はなし。T君も私も日本語はペラペラなのですが(かつT君は山形弁とのバイリンガルなのに)それ以外の言語はからっきしダメときています。

さあーっどうしたものか。

4、乗り継ぎのお助けを頼んじゃえばいい!?


 T君と長距離電話で長々と鶴首協議した結果、「乗り継ぎのお助けを頼んじゃえばいい」「多少お金がかかってもしゃあない」ということになった。

 翌日、私が日本の国際便を持つ大手2社に電話した。

 結果は2社とも「そういうことはやっておりません」というつれない返事だった。ただA社は結構「窮状!?」を察してくれ、「エアーポートサポートサービス」という制度があると教えてくれた。空港を限ってだが乗り継ぎのお手伝いをしているという。ただ、「高齢者と幼児連れ」に限るということだった。

 残念ながら、我々は年はいっているものの高齢者ではなく、ましてや、あかちゃん連れでペルーへ行くわけではないので、利用は出来ない。

そのリサーチ結果を、T君に長距離電話で伝え、またもや長々と鶴首協議。

その結果、「こうなったら、腹をくくって独力で乗り継ぎをやってやろうじゃないの!!ついでに話でよく聞く格安航空券とやらをゲットし、史上最安でペルーへ行ってやろうじゃないの!!」と怪気炎を上げたのだった。

 電話を切って、急に冷静になって考えてみた。

 米国の出入国審査は(単なる飛行機の乗り換えであるが、当事者の国の中でそれが行われる立場からすれば、一旦あなたは米国に入国しましたね、そして出国するんんですよねとなる、厳密に言うと)セキユリティの関係から「余人」が立ち入れるはずがないのではと思うに至った。
 確かに過去3度の南米行きの際のそれを思い浮かべてみると、「付き添いの人連れ」で出入国審査をしている人はいなかった。各人「指紋や顔写真」を取られたり係員から「口頭試問」を受けたりするので、深刻な表情でありながらも、淡々と粛々とそして静かに独力で乗り切っていた。

 つまり、乗り継ぎはそもそも自分でやるもの、やれるもので、そういう意味で、落ち着いてやれば出来るのではと思うに至ったわけである。

5、格安航空券をゲットしよう

 乗り継ぎの件で大手2社のウエブサイトを見ていると、「格安航空券はこちら」という記事が良く目に付いた。特別なところへ特別な形で依頼するんではないのではないかというのが最初の印象。

 折りしもT君が参加していた「チャランゴ合宿」のロッジ(福島奥会津)のオーナーがペルー渡航歴、8、9回という方で、T君がペルー個人旅行について貴重なアドバイスをいただくという幸運があった。
 その方が言われるには「とにかくいの一番に、早く航空券を押さえないと」ということだった。(と、私はT君からなかば焦り気味に伝言された)オーナー氏によれば「我々は半年くらい前から押さえちゃっていますよ、とにかく向こうにいける算段だけは確保しておかないと、話はそれからですよ」とのこと。おまけに、氏が良く使っている旅行社をご紹介くださった。

 その旅行社はB旅行社といって、南米ツアー、南米航空券専門の会社だった。2ヶ月先で、もうとれないんじゃないかなあと少し不安にかられながらそのウエブサイトを開いてみた。
そこにも格安航空券の文字が躍っていたのだった。

 当該ページから「成田・リマ」往復航空券を日付を指定して検索してみると、10数万円台のの米国D航空を最安として、以下値段順にゾロゾロとその候補がでてきた。

 よし、これにしようとD航空を慎重に選んだ。

(何のことはない一番安いのにしたわけですが、一応格安航空券を扱っている航空会社一覧ページを開き、各社の比較検討をした。例えば、少しでも快適にとシートの幅とか、座席の配置具合とかを見たわけです。その中で気がついたのだが、格安航空券を扱っているのは聞いたことがないような航空会社でなく、大手がほとんどだったということ。因みに南米行きだから米国の大手が出てきたせいかもしれないが)

そして、次の瞬間には、検索画面の候補リストのパソコンデスプレイを見ながら、受話器を取りB社へ電話していた。

6、格安航空券→米国C航空に決定

 電話口に出た方は若い方で、てきぱきとした対応で、初歩的質問にも丁寧に答えててくれた。

 最安のD航空のチケットははたして一杯で取れなかった。
次に安い(D航空と比べ数千円お高くなるが)C航空はまだ空席があるという。

 話は前後するがD航空にしたかったのは、荷物預けフリー(途中の乗り継ぎ空港で出し入れせず、成田で預ければリマで受け取れる)なことと乗り継ぎがアトランタでそんなに大きな空港でなく、乗り継ぎが楽ではないかという理由による。
 担当者によれば、C航空も荷物預けフリーで、乗り継ぎもヒューストンでアトランタと同規模だということだった。日程は変えられないので、少々お高くはなるが、C航空のチケットの手配をお願いした。

 担当者によれば、格安航空券とは「グレードを下げている」とか、「とんでもない時間にフライトするとか」「乗り継ぎが一日がかりですごく不便」だとかということでは決してないのだという。グレードは「エコノミークラス」であるし、なぜ安いかというと「いわゆる繁忙期でない、オフシーズン」の日のフライトだから安くなるのだと、懇切丁寧に説明してくれた。

 そのオフシーズンの安さ加減も3段階あり、私がお願いしたC航空のそれは最安のグレード、(つまり、一番お客さんが乗らない次期)だという。因みにそのグレード内で比較すると、数万円単位で金額が変動するし、格安の時期でない、例えばゴールデンウイークの時期と比べると、相当程度値段は違ってくるようだ。
 結果としてT君の取った休暇の時期は観光オフシーズンにあたり、再安に近い格安航空券が取れたことになるようだ。
 
 率直に乗り継ぎの不安の件を尋ねた。
 航空会社のほうから「ヒューストン空港の地図と日本語の乗り継ぎ案内書」が渡されるという。また、「個人旅行のお客様で乗り継ぎに失敗したというお話は、未だかって聞いたことがございません」ということだった。

それを聞いて少し安心した。

 遂に動き出した。後戻りは出来ない。とりあえずリマまでは行けることになったのだが、その先をどうするかが大問題だ。


7、現地手配はどうしようか

サクサイワマン遺跡からクスコを望む

 現地の宿泊先、移動なんかはどうします?個人ガイドを雇えるのかな?ということになった。
 ネットが得意のT君がクスコにある、日本人がやっているNツアーという旅行社を探し出してきた。

 早速そのウエブサイト(日本語、メールの問い合わせも日本語でOK)を見てみる。手作りのクスコの地図があったり、「詩」がのっていたりする、現地からの便りふうのブログがあったり、とても好感の持てるサイトだった。それと女性らしい細やかさで、我々のような「特殊な」フォルクローレ個人ツアーのサポートが得意そうではないかという「予感、予兆」を感じたのだった。

 その後、チャランゴ合宿のロッジのオーナー氏が懇意にしている旅行社だということが分かってきたり、チャランゴ合宿参加者の方もその旅行社を利用したことがあり「とてもよい」との評判も伝わってきた。

 熱心なT君はそのサイトのBBSの過去ログをあたったとかで、「個人ガイドをお願いした方がギター持参でやってきて、行く先々でギターを弾いてくれた」という書き込みをみつけたよと、教えてくれて、「当確」。このNツアーにお願いすることとしたのだった。


8、クスコだけに絞る

マチュピチュ村のレストランにてH19.1.
  T君とは、限られた日程(実質ペルーにいられるのは7日間)だから、クスコとその近郊だけの訪問に限ろう、ただし、マチュピチュへは1泊2日で独力で「高山列車」に乗って行ってみようということになった。 幸いNツアーはクスコにある旅行社で、丁度よかった。

 限られた日程で「フォルクローレツアー」を実現させるためには「ピンポイント」で訪問先を決め込み、かつ、移動手段や宿を手配しなくてはらない。そのため、Nツアーには以下の点の希望を伝え、そのための移動手段、宿、個人ガイドの手配をひっくるめてお願いした。

1、現地ミュージシャン宅訪問
2、現地ケーナ製作家訪問
3、「定期市場」(バザール)見学にピサック村(クスコ近郊20キロ)訪問
4、クスコになるべく多く連泊する
5、マチュピチュに1泊2日で行ってくる
6、高山病対策で一旦低地へ降り、そこで一泊する
7、現地のフォルクローレ楽器屋さんへ行く

 そのうち、私個人的には1番目と2番目が最大の眼目で、うまく手配できるのだろうかと、期待と心配とで、数日Nツアーからの返事を待ったのだった。

9、バッチし!!

クスコ大晦日のブラスバンド
 Nツアー代表のN子さんは.クスコでのガイド・旅行社歴数十年だそうで、N子さん知り合いのピサック村在住のK一家を紹介してくれるという。K一家はインカ伝統の農事暦にもとづき農業をする傍ら、アウトクトナ系の音楽をやっている音楽一家だという。

 午前中ピサックの朝市を見学し、お昼はそこで御呼ばれすればいいでしょうということだった。

 また、ケーナ製作家も知っているということで、楽器屋さん探訪も含め、専属のガイドさんと運転手さんを手配してくれて、3日ほどクスコを歩き回る旅程を組んでくれた。

 マチュピチュへは1泊2日で「独力で」行って来たらどうですということで、高山列車と宿の手配をしてくれた。

 また、高山病対策で、「半泊後(夜中につく)」リマの次の2泊目はオリャンタイタンボ村の宿を取ってくれるという細やかさだった。リマの宿も日本人の経営するペンションで、これも安心する。

 結局、行きの飛行機内一泊、リマ一泊、オリャンタイタンボ一泊、マチュピチュ一泊、クスコ4連泊、帰りの飛行機内一泊、計9泊10日という旅程となり、宿と移動手段(リマ・クスコ間飛行機、専用の車)の手配が無事完了した。

後は、とにかくリマまでたどり着きさえすれば、物事は始まっていくばかりとなった。
 
※とりあえず「準備編」終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。帰国後「検証編」をペルー旅行記Vol.3として書くつもりです。ご期待ください。
(平成19年11月14日完稿、ペルーへの旅立ち1週間前)

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